「善意の人/悪意ある人」「正しい行為/誤った行為」の組み合わせと「奨励・牽制・救済・処罰」

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【これは約 6 分の記事です】

私の業務は「情報セキュリティ研修」です。基本的に研修内容に私の独自の考えを入れることはできるだけ避けています。私がお教えすることは、だれでも知っている常識でない限り、必ず出典があります。

が、このブログでは、私独自の考えを書いてもいいかなと思っています。独自解釈をブラッシュアップするためには、発表していく必要があると思いますので。多少整合性が取れていなくても、発表していきます。

タグには「独自解釈」を入れておきますし、今後の記事では「これは独自解釈である」とことわりを入れるようにします。

さて、ここからは私の独自解釈です。

意志と行為のマトリックス

世の中の人を単純に二分すると、「善意の人」「悪意のある人」に分けて考えることができます。もちろん、この二分はあまりにも単純すぎますが、今回は説明のモデルを作ることが目的なので、単純に二項対立で考えます。

さて、世の中には「正しい行為」をする人と「誤った行為」をする人が存在します。が、「善意の人」が「誤った行為」をすることもあれば、「悪意ある人」が「正しい行為」をする場合もあります。

なので、こんなマトリックスを考えることができます。

善意の人 悪意ある人
正しい行為
誤った行為

組み合わせとして

  • 善意の人の正しい行為
  • 悪意ある人の正しい行為
  • 善意の人の誤った行為
  • 悪意ある人の誤った行為

が考えられます。この場合の「善意」とは「悪意がない」という意味です。善行を積む意志がある、という意味ではありません。

また、ここでいう「正しい行為」「誤った行為」は、「結果として」です。良かれと思って誤った行為をしてしまうことはありえます。

さて、上記4つの行為に対して、どう振る舞うべきでしょうか。私はこう考えます。

善意の人 悪意ある人
正しい行為 奨励 牽制
誤った行為 救済 処罰

奨励

善意の人が正しい行為をする。全く問題ありません。今後も正しい行為をしていただけるよう、その人の行為を推奨していきます。

牽制

悪意ある人が正しい行為をする。気持ちいい気はしませんが、正しい行為をしている以上、その正しい行為を止める理由はありません。

ここで必要なのは、「牽制」です。この不正な行為をしたらどうなるか、ということを悪意ある人に伝えます。不正な行為を思いとどまらせるための方策です。

ここで注意は「その人が悪意ある人」と言うのは、外見上わかるのか、という問題です。

真に悪意がある人は、自分が悪意ある人だという事がわからないように振る舞うでしょう。それがうまくいくかどうかは別問題ですが。

悪意をわざと見せる、ということは、悪意を見せることで牽制をかけている、といえます。そのような人には、こちらも牽制をかけて、不正をすることを思いとどまらせる必要があります。

一方で、悪意があるけど、周りにはそう見られていない人はその行為が奨励されます。一見おかしいですが、奨励することで不正な行為をしなければいいのです。

そうすると、悪意を見せている人で合理的な判断ができる人なら、悪意を見せることより、悪意を見せないほうが得なことに気付きます。そのまま悪意を見せずに、永遠に正しい行為を行っていてくれれば、例え心の中が悪意に満ちていようが、何ら問題はありません。

救済

善意の人が、誤った行為をおこすことはありえます。その際には罰するべきではないと考えます。

何故なら、処罰されることを恐れて、誤った行為をしてしまったことを報告しなくなるからです。

誤った行為が行われ、結果として問題が発生したら、まず、それに気づくほうが社会的に有益です。「善意の人が誤った行為をしてしまった場合は救済する」、そうアナウンスしておけば、迅速に問題を報告する動機づけになります。

ここで注意は、「迅速」であることです。怠惰な人は迅速に報告しないでしょう。「怠惰な人」は、「悪意ある人」と考えます。

処罰

悪意ある人が誤った行為をする、これは処罰していいでしょう。

「悪意があって」「誤った」行為をした場合のみ、処罰を適用すべきと考えます。

これも「悪意があるかどうかが外見でわかるとは限らない」という問題があります。つまり、「見た目上善意の悪意がある人が誤った行為をしても救済されてしまう」問題です。

もちろんこれは避けたい状況ですが、これを避けるために「本当に善意の人なのに誤った行為で処罰される」のは適切か、と言われると疑問です。悪意があるように見えないのであれば、救済の方を優先すべきでしょう。

もちろん、「誤った行為を悪意を持って行った人」はあぶり出されるべきではあります。

処罰は必要だが最終手段

処罰が必要かどうか、と言われれば、もちろんイエスです。ですが、処罰はあくまで抑止力であるべきと考えます。処罰は最終手段なのです。

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